与論島の地主神社に参拝してきました。地主と書いて「とこぬし」と読みます。
⛩️ 地主神社のルーツ
この地主神社は「琴平神社」とも書かれていて、なぜだろうとおもって調べてみました。
「文政7年に旅行、海上安全の為に、金毘羅大権現として小祠を建立、天保6年に、今の場所に移り、明治になり「琴平神社」に改称し、大国主之命、市杵島姫之命、菅原道真公を合祀」となっております。
元々、琉球王朝時代の神を祭祀していた場所にまつっていたところに、本国の「金刀比羅様」が分祀されたのですね。
この神社は、実は与論城跡にあります。
与論城は、15世紀初めに、琉球北山王の三男「王舅(オーシャン)」が島に渡ったときに、島主となって築城計画をされたそうなのですが、途中で王朝が滅亡したので未完成になりました。
先の境内へ向かって左横には、王舅の墓もありました。
さて、だいきちは上の写真の中で、どこにいるかおわかりでしょうか?
正解は、看板の上辺りに見える茂みのなかでした〜😻
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