清流を求めて長野県にある姫川源流自然探勝園の散策路をお散歩しました (#^.^#)
散歩の途中、一見して歴史の趣を感じさせる神社の祠に出会いました (^_-)-☆
見ると 「三宝荒神社」という歴史のある神社でした (^^♪
ふくちゃんが率先して参拝したのですが、どうなりますことやら・・(;^ω^)
だいきちに耳打ちカミングアウトするふくちゃん、正直者ですね(///ω///)♪
三宝荒神社に掲げてあった由緒書きについて、関連リンクも含め調べてみました。
[参考資料: 三宝荒神社 由緒書き全文(※カッコ内の読み仮名や別称は著者の注記)]
祭神
澳都彦命(おきつひこのみこと)・火詰(結)命(ほむすびのみこと=がぐつちのかみ)・澳都姫命(おきつひめのみこと)
荒神社は甲斐源氏の流れをくむ長澤家の祖 長澤伊勢守源長信が、正応三年(1290)浅原氏の謀反に味方をした為、この地に潜居し、正安二年(1300)出雲大社に請い、ここに勧祀した。
長信の子孫、長澤弥兵衛信正が年月を経て廃頽した社殿を弘治二年(1556)に再興した。その後、嘉永六年(1853)信正の末裔 長澤佐五衛門と同族十二名により社殿の改築が行われ現在に至る。
宝物
一、短刀;文暦元年(1234)建武信国の作。
一、鏡;長禄二年(1458) 赤松の乱(嘉吉の乱)にて二十四歳で討死した長澤利三郎信政を記念し、子孫が寄進。
姫川源流は昭和五十年代に整備されるまでは、「荒神の清水」と呼ばれ、人々に親しまれていた。古から塩の道を往き交う旅人は、この清水で喉を潤し、社に旅の無事を祈ったものである
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