秋晴れの青空の中、岐阜県を代表する「郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)」を旅にゃんこしてきました。
この城は別名「天空の城」と呼ばれています。私たちが訪問したときも、早朝の朝靄の上に立つ幻想的な姿を見せてくれました。
◇ 郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)
国道256号線上、郡上市から和良町へ通じる「堀越峠」。この峠の中腹あたりに「天空の城」撮影スポットがありました。
早朝7時、撮影スポットに到着すると、秋空の朝靄がかかった冷たい空気の中、このような見事な天空の城が見えました💕
実は、この堀越峠は急カーブが多く、また駐車スペース(おそらく3台がぎりぎり)がないので、観光気分で気軽に撮影できる場所ではありませんでした。
しかも、15分もすると、たちまち空は晴れ渡り、靄がなくなり、ただの・・・とはいっても美しいことには違いないのですが・・・青空を背景とした山城と化してしまいました。
だいきちが、このときバギーから顔を出さなかったのは、冷たい秋風がやや目に沁みたからかな・・・(;^ω^)
◆ 郡上八幡城の天守閣へ
さて、撮影が終わると、堀越峠を郡上八幡市方面へ逆戻りです。この八幡山の頂上に立つ雄姿が「郡上八幡城」です。
郡上八幡城は、戦国時代の永禄2年(1559年)、牛首山(うしくびやま、後の八幡山)の頂上に遠藤盛数が建築した砦が起源になっています。
ちなみに、東京に「青山」という地名がありますが、遠藤家から紆余曲折のあと、この城を継いだ青山氏の名前が起源だそうです。
郡上八幡城は、明治2年(1870年)廃城となってしいました。廃城の翌年の明治3年(1870年)に、石垣だけを残し、取り壊されてしまったのです。
その理由については、おそらく、郡上八幡城が取り壊された翌年明治4年には「廃藩置県令」、明治6年には「廃城令」が発令されていることから、明治政府による "藩政の武装解除の流れ" を受けたものと思われます。
昭和8年(1933年)に当時存在した「大垣城」(昭和20年に空襲で焼失)を参考に、再建されたのが今の天守閣です。このとき、木造で再建されました。
余談ですが、建築築基準法が昭和25年に施行されると、城は再建しようとおもっても鉄筋コンクリートでの建築を余儀なくされてしまいました。郡上八幡城はそれ以前の再建物のため木造での建築ができたのですね。
というわけで、太平洋戦争の空襲も免れた郡上八幡城は「現存する木造再建築城」としては日本最古(今年2016年で築83年)なんだそうです。再建された天守は郡上市有形文化財に指定されています。
このふくちゃんの背後にある石垣は戦国時代の創建時から残っているもので、岐阜県史跡に指定されています。
お散歩好きにゃんこのふくちゃんは、石垣のまわりをさっそくお散歩いたしました。
ふう~💕お散歩満足しまちたよ(⋈◍>◡<◍)。✧♡
【関連リンク】
※郡上八幡城は上のランキングでは20位です。
2コメント
2016.12.02 11:27
2016.12.02 02:30