安房川の川沿いの道、いわゆる「如竹通り」を歩いてゆくと、県道77号線の高架下に差し掛かりました。
そこには大きなワンちゃんが。
そばにおられた飼い主のお父様におたずねすると、もう15歳と高齢で先日も近所のワンちゃんにイジめられて耳をケガしてしまったとか。
ふくちゃんは、ちなみに、鼻先に顔をくっつけられるまで近づかない限り、わんちゃんを見ても怒ったりしません。
そういえば、以前、上の写真のように、群馬(ぐりーんふらわー牧場)でお馬さんに鼻キスされたけど、平気でした。
ちなみに上の写真(京急油壷マリンパーク~神奈川県)のように、グロテスクなサメの剥製には反応しないのですが・・・
上の写真(猫グッズ専門店 ル・シャ・デ・ボワ~山梨県)のように、リアルな猫の置物に対しては、怒りが収まらないようです(笑)
さて、話は飛びましたが、ワンちゃんに出会ったことで、しばらく高架橋下でなごんでいると、高架橋の柱の壁に上のようなイラストと石板が掲示してあることに気づきました。
「如竹踊り」の様子を描いたイラストと、その意味についての記述が石板に書いてありました。
江戸初期に活躍した聖人「泊如竹」を記念した踊りなんだそうです。
そこで、この泊如竹について興味を持ちましたので調べました。
如竹はこの島出身の儒学者・僧侶で、読み方は「とまりじょちく」です。
「本能寺の変」で有名な京都本能寺で得度(僧名「日章」)し、儒学者の藤原惺窩(ふじわらせいか)の元で朱子学を学んだりしています。
その後、築城で有名な藤堂高虎(とうどうたかとら)に伊勢で使えたのちに、琉球の尚豊王(しょうほうおう)、最後は、島津藩第2代藩主の島津光久(しまずみつひさ)に使え、ついに屋久島へ帰郷します。
そのときに、経済的に困窮した島民の姿を目の当たりにし、屋久杉を伐採して売って生計を立てること提唱したというわけです。これは、文献によると、江戸初期の西暦1642年のこととされています。
こうして島の経済を救った偉人ということで、如竹の命日である旧暦5月25日に「如竹踊り(じょちくおどり)」が、安房地区の記念廟(泊如竹の墓)で行われているそうです。
あの、ワンちゃんと出会った高架橋の柱にあった絵は、住民のみなさんが愛する如竹踊りの記念碑だったのです。
ワンちゃんにバイバイしてから、しばらくいくとペット同伴可のカフェ「スマイリー」に到着しました。
テラスで、だいきちとふくちゃんも休憩させていただきました。
お店の手作りのシフォンケーキ、大変おいしかったです。
ありがとうございました!
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